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2016年10月30日日曜日

登校拒否先生が復活できたのは「あれ」のおかげ

子どもの本音を言葉に変換!

感じて考えて書ける子に

岩下作文教室岩下春江です。


前回2回にわたって岩下の醜い過去を書きました。





学校の先生なのに、登校拒否なんて、最高に情けない過去です。

でも、復活したんですね~

自分でもよく復活したなぁ、と書きながら感心していました。



復活できたのは、「嫌なことノート」のおかげなんです。





小学生の頃から、日記とまではいかなくても、思うところがあると、

ノートに書いていました。

嫌なことがあった時が多かったです。

以来、学生時代もずっと悩んだときは必ず書いていました。



書き方はすさまじいです。

考える速さで書きます。

誰に読ませるものでもないので、

激しい文字です!!!

読めません!

自分でも解読不能!の時があります。



最初は、「コノヤロー!」とか、嫌とか苦しいとか辛い言葉が並びます。

その時の気持ちをばーーーーーっ

と書き連ねます。



ひとしきり書くと、自然に分析がはじまります。

なぜこう思っているんだろう。

こう思うことで自分は本当はどうしたいんだろう。

これからどうなっていくんだろう。


考えると同時に文字になります。

すると、


「そうだ!本当はこういう気持ちだったから辛かったんだ」


とか


「そうか。自分が思い上がっていただけだ」

など


人には絶対言えない本当の気持ちが文字に現れてきます。




そんな嫌なことノートを、

登校拒否先生は使いました。




最初は、「学校の先生なんて」と馬鹿にする口調。

たくさん、たくさん。



しかし、文句は言うけど何もできない自分の

愚かさを自覚します。



自分が引き寄せた「学校反対論者」の大人たちは

私の事を心配してくれたんだろうけど、

じゃあ、辞められるかと言ったら、

辞める勇気なんてない、ちっぽけな自分を自覚します。



結局、勉強はしてきたけど、

まだ何も成し遂げていない未熟な自分を

認めざるを得なくなります。



「ああ、私はバカだった。愚かだった。みんなに迷惑をかけた。」

そんな文字がどんどん並んでいくのです。



気持ちが「見える」というのは、効果的ですね。

自分がダメな部分こそ、見えるとショックだけど、

生意気な私にはちょうどいい薬でした。




こうして、気持ちをすべて吐き出して、

文字に書くことで「見える化」し、

違う自分に変身しました!



書いたから復活できました。

書かなければ、復活したとしても、

先輩先生たちにかわいがってもらえなかったでしょう。



登校拒否先生が復活できたのは

「嫌なことノート」のおかげだったのです。

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2016年10月27日木曜日

登校拒否先生のその後

子どもの本音を言葉に変換!

感じて考えて書ける子に

岩下作文教室岩下春江です。




昨日は、岩下の醜い過去の恥さらしをしました。

★☆「実は先生になって2か月で登校拒否になりました」→→


そうです。
恥ずかしいことに、学校の先生になって
たった2か月で登校拒否になったのです。


|なぜ学校の先生になったのか


そもそも、登校拒否を起こすくらい嫌な学校の先生になぜなったのか?

最初からやめておけばよかったのに。


ふたつの相反する気持ちがありました。


ひとつは、自分が小学校の頃から思い続けていた
音楽の授業を、変えたいという思い。

あ、わたくし岩下、本職は音楽の先生です。

ピアノを習っている子だけができる音楽の授業に疑問を持っていました。
どの子も同じ土俵に立って
音楽を楽しめることは出来ないのか探り続け、大学院まで行きました。
結果、答えを見つけました。その答えはまたの機会に。


変えたいまではいかなくても、自分が学んだことを
試したい気持ちが大きかったです。

音楽というと「嫌い」「苦手」という子どもが多いけど、
それをなくしたい。

私の授業を受けた子は、少なくとも音楽を嫌いにならない、
そんなことを目指していました。

「音楽の授業を変えたい」という思い。


しかし半面、「学校の先生」という職業が、好きではありませんでした。
なぜなんだろう?
ちょっと今、思い出せません・・・

音楽の授業を変えたいけれど、
学校の先生は嫌。

そして、教育学部は学校の先生になる、という流れだったので、
その時の私は、大きな口は叩くけれど、
実際に行動する勇気は、まったくない情けない人間でした。

そんな流れで、学校の先生になってしまったのです。




|どうやって復活したか入院騒ぎ その後



さて、先生なって2か月で登校拒否になったのち、
家に校長先生まで来て
これは困った、どうしようもない、
そんな状況になってしまいました。

そして、自分が現実には口ばっかりで
何の行動もできていない事実を認めざるを得ませんでした。



校長先生が復職を勧めてくれました。

キリがいい二学期の始業式からでは馴染めないかもしれないから、
一学期最終週だけでも来てみれば、と提案してくれました。

その提案を受け入れました。

校長先生に感謝ですね~今思うと。
ひとり減ると現場が大変になるというのも実際ありますが、
それでも、声を掛けてもらえなければ、汚点のままでした。


復帰後、先生方に謝りましたが、その情けなさ、
申し訳なさ、自分のダメさ加減、
つくづく身をもって感じました。

特に自分の思い上がりが招いたことだという恥ずかしさ。


学校では体調不良ということになっていましたが、
明らかに、登校拒否ですし、先生方も生徒たちも分かっていたはずです。


ですが、不思議なことに
「何か言われたら嫌だ」という気持ちはありませんでした。


言われていることは分かっていたから。

自分が蒔いた種だから。

気付かないようにして、日々の仕事をしていました。



校長先生の判断は正しかったです。

二学期から復職だったら、やはり行きにくかったです。
一学期最後の一週間だけ、登校できたことで、
自信と職場への慣れもできたし、
一週間だけ行けば、夏休み、という区切りもよかったです。


|登校拒否先生が壊れた!?



2学期が始まりました。
行事オンパレードです。

吹奏楽部顧問だった私は、文化祭の選曲、
練習と、頑張りました。

そして、何を思ったか、
文化祭で吹奏楽をバックに歌っちゃった!!!

1曲、マイク持って、ライト浴びて、歌ったんです。
恥ずかしいという気持ち、ゼロではなかったけれど、

それより自分の本当の姿を
取り戻したかったのかもしれません。


そう。
文化祭で合唱コンクールがありました。
合唱コンクールは私が目指している音楽ではないので、
それに染まりたくないという気持ちもあったかもしれません。
私、今でも正直嫌いです。

理由は色々あったはずだけど、

なぜか、「私は歌うんだ」と決めました。

周囲の反響?
「すごいね」だったかな。

「登校拒否したくせに、みんなの前で
恥ずかしげもなく歌うなんてすごい」

の意味ですよ。間違いなく。


|2年後の変化



文化祭の後も問題は色々ありました。
音楽の授業が成立しないのは日常茶飯事。
机やいすが飛び交いました。

授業を何とかしたくて、勢い余って
勝手に筑波大付属中へ授業参観に行ったこともあります。

結果、校長室で校長と教頭からこっぴどく叱られました。

未熟な人間がゆえに犯した問題・・・数知れず。


でも、なんだか先生たちの仲間に入れてもらえるようになりました。

ある時は、私の仕事の多さが尋常じゃないことを心配して、
先輩先生がわざわざ呼び出して仕事のやり方を教えてくれました。

それは、あなたがやるべき仕事じゃないから、今からでも断りなさい、と。


そして、2年が経ちました。

最初に赴任した学校は、3年で異動するというのが、
当時の暗黙の了解でした。

私にも異動の話が来ました。

当時中学2年の副担任だったのですが、
学年の先生から、
「あと1年一緒にいて、一緒に卒業しよう」
と言ってもらえました。


登校拒否していた頃の私だったら、
そんなことを言ってもらえるはずがありません。

引き留められて、ありがたいと心から思いました。



*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*

中学校で働いていた3年間は、
つくづくみっともない自分を突き付けられた時間でした。


赴任した翌日から来なくなる新人先生もいた中で、
登校拒否になった私が、
よく復活できたなあと自分ながら感心します。

多分、復活できたのは、

あれ

のお蔭じゃないかと思うんです。

あれ

です。

あれ。

(つづく)

2016年10月26日水曜日

実は、学校の先生になって2カ月で登校拒否になりました

子どもの本音を言葉に変換!

感じて考えて書ける子に

岩下作文教室 岩下春江です。



昨日は、今どきの学生はおかしいぞ!
ちゃんとした社会人になれるのか!?
という話でした。


☆★「あなたのお子さんはどんな社会人に育てたいですか?」→→




しかし、わたくし岩下、
恥ずかしいことに、
教員になって2カ月で登校拒否になりました(>_<)



大きなことを言っている割に、
情けない過去を持ちます(T_T)


大学院を修了して
公立中学校に新卒教諭として赴任しました。


|先生という職業を馬鹿にしていた


赴任したその時の心構えがまず、いけなかった。


「学校の先生なんて・・・」


馬鹿にしていたんですね。

先輩の先生方が頼りなく見えました。
話し合う内容が、浅はかに思えました。
授業内容が、最先端ではないと軽く見ていました。


じゃあ、お前ができるのか、という話です。


できるわけがない。


「学校の先生なんて・・・」

というフィルターで見るから、
全てが悪く見える。


「私はもっとすごいのよ<`ヘ´>」

という思い込み。
思い出すだけで恥ずかしい(-_-;)


今思えば、全然すごくないのに、学校への批判ばかり、
夜な夜な電話で話していました。

話された友達も嫌だったろうな~
友達もみんな、先生だったから(-_-;)

でも、友達は私のことを分かってくれて当然!と思いあがっていました。

本当に、どうしようもない馬鹿者でした。



|同じ考えの人間を引き寄せてしまう

どうして、そんな生意気な新卒教員に注意する職場の先生や友達はいなかったのか?

それらしい「空気」は感じましたが、感じないふりをしていました。

職場の先生は、私に何か言っても聞かないことが分かるから、
近付きませんでした。

友達だってばかじゃないから
トラブルなんて疲れるだけ、と思うはず。
連絡取らなければいいだけだし。
そうして、友達と疎遠になりました。


ところが、お世話になっていた周囲の大人が、
「先生反対論者」ばかりでした。

そして、私の文句に賛成意見を言ってくれました。

「学校なんて」

「学校の先生なんて」

学校以外では、そんな話ばかりしていました。

分かりますよね。

同じ考えの人間を引き寄せてしまうということを。
「類は友を呼ぶ」です。


そして嫌な仕事をしている人間がどうなるか。

バチが当たりました。


|入院まで引き寄せた


4月に先生になってから、慣れない毎日を積み重ね、
6月、微熱が続くようになりました。

心のひずみが身体に出ました。

微熱から、だんだん身体が動かなくなっていきました。

病院に行くと「入院」と言われました。
心の中で「ラッキー」と思いました。

入院してしまえば、嫌な学校に行かなくて済みます。
大手を振って休めます。

潜在意識の中で、体の不調→入院と引き寄せたと今では確信できます。

自分としては自然な流れだったから。

体調は悪かったけれど、原因不明。
明らかに、「登校拒否」の症状です。


学校を休めてラッキーと思う気持ち

私の授業を代わってくれる先生に申し訳ないという気持ち

私が引き寄せた周囲の大人たちの「先生なんてやめてしまえ」という助言

どうせ先生なんて大したことないんだから辞めようという気持ち

でも、辞めたら自分はどうなるかという不安、

先生はダメだと言っていた自分に対する大きな反省



いろいろな気持ちが渦巻いていました。


休んでいる時、わざわざ校長先生が家に来てくれました。

合わせる顔がありませんでした。

具合が悪いのは、学校を馬鹿にしていたバチが当たったのだから。

(つづく)

2016年10月11日火曜日

新聞投稿で培った技~読む人の立場に立った文章~

子どもの本音を言葉に変換!

岩下作文教室 岩下春江です。



前回は、モニターの経験を書きました。

★☆「岩下の作文力はモニターで養われた→→



モニターの次に目に留まったのが

新聞投稿。



自分でお金を稼ぐため、という目的で

文章力を身に付けてきたわたくし岩下。

新聞投稿も「謝礼」という形で

稼げることを知ったのです。



最初は募集が出ていた地方版で。



子どもたちは字数が多いと「書けない!」と悩みますが、

新聞投稿の場合、200字くらいです。

「文字数が少ない!」

この難しさ。

言いたいことを短く、それも印象に残るように伝えるのは

至難の業でした。



そうして、初めて採用されたのが、

こちらの投稿。


記念すべき採用第一号!封筒まで取ってある。
今は、500円ももらえません。ある意味採用率は高いはず。




















新聞に自分の名前が載っている不思議さ。

不思議さというより、ドキドキです。


この投稿を知っている人が見たらどうしよう。

何て言われるかな?

名前が出ちゃって大丈夫かな?



心配の方が大きかったです。

今や、ブログ、㏋電話帳、など名前を出していますが、

最初は、掲載された喜びと同じくらい心配がありました。



そして



誰からも連絡はきませんでした(^-^;




なるほど。

新聞に名前が出ても、世間の人は私のことだなんて

大して気に留めないんだな。

写真入りでドーーーンと大きく掲載されれば別だけど、

小さい読者投稿欄は、注目度が低い。



心配はしなくてよさそうだと分かりました。





しかし、だれが読んでいるか分からない。

どこで目に留まるか分からない。



投稿するときに、


「読む人のこと」


を考えるようになりました。




自分の考えや体験を書くのだけれど

他人が読んで、気分を害さないか、

新聞に載った時、家族だけでなく誰かを傷つけないか、

楽しい気分になるか、

本当に起こったことか、(嘘じゃないか)



今までのモニターは、採用者だけにアピールすればよく、

世に出ることはありませんでした。




世に出す文章は、

不特定多数に向けて

注意しなければならないことを

知りました。




上記の採用第一作は、つわりで苦しんでいる私を

父が山へ連れていく話です。

父は、私のためを思ってのことなのに、

私はどんどん体調が悪くなる。

父の優しさが空回りをしている、ちょっと切ない気持ちです。

それを、「中高年登山」というテーマに合わせて書きました。




私にしては非常に平和な文章です。

それまでは、批判精神の塊で、

書けば、批判ばかり。

前回のモニターもある意味、あら探しでしたから。




批判の文章は、世に出す文章の中では、

とても気を付けるものだと思います。

私の過去の文章は、世の中に出せるものではありません。




この採用を皮切りに、新聞投稿にはまっていきました。

(つづく)


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2016年10月8日土曜日

岩下の作文力はモニター応募で養われた

子どもの本音を言葉に変換!

岩下作文教室 岩下春江です。


わたくし岩下は、11年間
音楽教室をやっています。
(5年間書いているブログはこちらです→→


それがなぜ、作文教室を始めたのか


疑惑の念を持たれる方が
いらっしゃるのではないでしょうか?


私は、子どもの頃から
文章を書くのは嫌いではありませんでした。


でも、学校で出される作文の宿題や、
卒業文集などは、皆さんと同じく
何を書いていいか分からず苦労しました。




そして、時は経ち、
結婚して仕事がなくなりました。


主人の収入で暮らしていけましたが、
自分の収入が欲しいと思っていました。


でも、働くために外に出る環境にない。
さてどうしよう・・・・・


その頃、インターネットを使えるようになりました。

ほんの15年位前ですが、
家から出なくても世の中の情報を集めらることに
面白さと新鮮さを感じました。


ネットサーフィンにはまりました。

そこで、「モニター」という制度を知ったのです。

家にいながら、ネットや郵便でレポートを届けると
謝礼がもらえる。


新聞やネットで片っ端からモニターを探し、応募しました。

この応募が、私の作文力を鍛えたと言えます。

以下が私が採用されたモニターです。


  • 国家公務員に関するモニター(人事院)
  • 県政モニター(埼玉県)
  • 朝日新聞紙面モニター(朝日新聞社)
  • 電気通信サービスモニター(総務省関東総合通信局)
  • 厚生労働行政モニター(厚生労働省)
  • 食品表示ウォッチャー(農林水産省委託日本農林規格協会)
  • 国土交通行政インターネットモニター(国土交通省)
  • 川口商工会議所ネットモニター(川口商工会議所)

8個ですが、複数回おこなっているものもあります。


8個採用されるために、3倍は応募書類を書きました。


何回応募しても受からなかったのは
NHKのモニターです。

応募者数が多いのが原因なのか、
レベルが高いのか・・・
番組を二つ見て、その感想で応募します。
(今は変わっているかもしれません)

人があまり書かないだろう番組を選んだり、
テレビではなくラジオにしたり、
目に見えない採用担当者を思い浮かべ、
目に留まるような応募書類を書きましたが
ダメでした。


しかし、色々なモニターに
応募するうちに
採用されるコツをつかんできました。


「採用担当者にいかに訴える応募動機か」


これを意識して書くと、だんだん採用率が上がりました。



例えば、人事院なんて、
何をするところかさえ、
知らないのに応募しています。


なので、まず、人事院について知る。


そして、どういう人を求めているか
条件があるので、

いかに自分は
その条件に当てはまる人間か
アピールする。



厚生労働省のモニターは、
厚生省が自分の身近で
非常に関わりが深いことをアピールしました。


娘は保育園なので、厚生労働省の管轄です。

病院関係もそう。

日ごろから、厚生労働省の施策を
肌で感じる立場だから、役に立てる、
とアピールしました。


厚生労働省のモニター内容は、
原稿用紙が渡されて、
日ごろ問題に感じたことを書き、
郵送するものでした。

毎回1200字は書きました。



一番、辛かったのは朝日新聞のモニターです。

上記のように、いかに自分は役に立てるかアピールしたら、
採用されました。

しかし、辛い・・・

2週間に1度、
2週間分の紙面について、意見を求められます。

新聞を読まなければ書けません。

いつもは社会面と生活面しか見ない私が
政治や国際状況も隅から隅まで読みました。
毎日、必ず。

しかし、もともと興味はないし、
もちろん専門的な知識はない。
身近に感じないので、

本当に困りました。



でも書かなければ、謝礼はもらえない!


開き直って、自分の思うまま、感じるままを書きました。
分からなかったら「分からない」

分からない人間がいるんだから、
解説してほしいというスタンスで。

でも、ある程度は調べてから
「分からない」と書きました。

世の中の動向を知らない自分が
恥ずかしかったというのと、

新聞を読んでモニターに応募した、
という人間は
基本的な知識はある、という
暗黙の条件があると思っていたから。


そうして半年間、頑張りぬきました。

モニターをやる前より、
新聞を読めるようになったのは収穫でした。




モニターになるとこうした委嘱状が届きます
モニター生活を数年間続けました。
動機は、「お金が欲しい」
でしたが、

お金を払う方もいい加減な人間には払わない、
ということも肌で感じました。

ですから、まずは、「頑張る自分。提出期限は必ず守る自分」
をアピールし、

採用後は、それが嘘でないことを証明するために
せっせと文章を書き続けました。


読む人を意識して書く文章を
初めて知ったきっかけです。


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